チャンスの女神に後ろ髪がないならば
なにも掴むところはどこでもいいはずだ。
重要なのはチャンスの女神がどこをうろついているかだ。
チャンスの女神は恐らく女性であろう。だって女神だし。ロマンスの神様はお…とこ…なの?
チャンスの女神が女性ならば、女性の行くところをうろつくはずだ!…待てよ?
ならばこの世のチャンスを掴んでいる男達は…女性の行くところをうろついていたのか…?
わかりやすいので
テレビに出るような方達をチャンス掴んだ人間の定義とするならば、その方たちは「女性の行くところ」で女神の髪引っ張って来たのか…?
そもそも「女性の行くところ」てなんだ…?
PARCOですか?ドトールですか?ドトールは僕も良く行きますね。
ドトールで髪引っ張ったことはないけど。
偉人がチャンス掴んだときのことを考えよう。
フェルマーの最終定理を解き明かしたアンドリュー・ワイルズ先生で考えよう。
ちなみにフェルマーの最終定理というのは、フランスのフェルマーという昔の偉い数学者が読んでいた愛読書に
「なんかすごい証明できたんだけど、この余白だと狭すぎて書けない」と書いたのが始まり。証明する式の見た目が簡単そうなせいで、数々の天才数学者を地獄に叩き落としたと言われる文字通りの大問題。
その問題の出た360年後、アンドリュー・ワイルズ大先生は完全に証明してみせた。その証明を発表する流れがこれまたカッコイイのだけれどもそれはまたどこかで。
と思ったけども、数学者はチャンスの女神掴むもんじゃないのでは。この問題は積み上がった学問の歴史と解き明かす解答者の勉学、閃きによって成したことだ。研鑽、努力とかそういうレベルではない。並々ならぬナニカだ。
でもまぁこれも広義に言えばチャンス与えられたと言えるのか?…難しい。
けっきょくチャンスの女神は雲の上から、チャンスの雫みたいなのをポトポト落としている人なのかもしれない。
実は掴める場所に来てくれる女神ではないのかもしれない。
積み上げ、育て、そこにかかる補正としてチャンスは考えた方がいいのかも…
麻雀みたいなものか。
配牌、手を育てて、アガる。運が良けりゃ裏ドラ、カンドラが乗ってくれて成果が伸びる。ボーナスくらいで考えるのがちょうどよいのだ。チャンスありきでモノゴトを進めるのは美味しくないのだろう。
ちっ、女神頼りに「女性の行くところ」をうろつこうと思ったのにそーはいかなさそうだな…
はいおわり