カタラーゼ

愛知の20代男がなんか語っとる・・・

【俳句】完全な形で絶えるということ

どうもどうも、僕です。

 

最近、毎日のように俳句のことを考えては17音に抑えきれないモヤモヤ抱えて生活しております。

 

4月を迎え、新しく社会人だ!という方、晴れて大学生だ!という方もしくは高校!中学!という方それぞれに出逢いが訪れる時勢です。

 

生活の中で色々なことが変わっていくこの時期は、精神が疲弊しやすい時期でもあるなぁと思うのは僕だけでしょうか。

そんなとき、それとな〜く積んでいた本を手に取った。ら興味深い俳句を見つけたのでご紹介したい。

怖い俳句という本からの一句。

 

「不安な世代完全な形で死ぬ電球」

 

 この句は上月章(こうづきあきら)さんという戦後の俳人が作ったもの。

今も続く現代俳句協会賞という有名な賞も獲っておられる

この俳句を詠んだとき、あまりにもしっくりきてしまった。

 

電球は中のフィラメントが切れることでその役割を終えてしまう。まるっとした見た目にはなんの変化もない。

そこに「不安な世代」、つまり社会性の集合体でありながら、確かに存在する個人各々に重ねることで外傷無く、精神だけが「プツッ…」と切れてしまう様を描いている。

 

 

惜しいことではあるが、日々のニュースでココロが「プツッ」と切れてしまった人々を見かけるのが珍しくなくなりました。

ニュースになるということは、その出来事は珍事であると考えたい。

ただあまりにもその話題が、大小さまざまに起こっているように思う。

世の中が怖く見えてくる。もっと皆んな生きやすい風に楽しくならんかなぁと思ってしまう。

 

ここでガンジーの言葉を借りたい。

「あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい。」

 

それぞれが楽しくあれるような、道歩く人が重苦しい表情をしなくて済むような、

夏の日に窓を開けて、素肌を撫でるような風を感じる余裕があるくらいの心地良さを感じられる

世の中になったらいいのにと考えている。

まずは自分がそうなろう。

 

完全な形で絶えてしまう方がいなくなるように。

はい終わり。

 

*4月7日(土)タグをつけました。なぁんでわすれてたのかなぁ~?

 

 

 

怖い俳句 (幻冬舎新書)

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