カタラーゼ

愛知の20代男がなんか語っとる・・・

ぼくだって・インスタ映えが・したいのに2

続編です。

以下の記事を読むと2度おいしいはずです。
はず。

fuseki01.hatenablog.com

 

・本編

料理が来たら写真を撮る。
そのことを忘れる習慣から、約二か月を経ていくばくかの成長が見られた。
そう、写真”は”撮るようになったのだ。
しかし、投稿することを忘れてしまう。
いや、正確にいうならば面倒くさがって”忘れた”ことにしている。
というべきか。
いかんせん、食後の満足感や談笑により優先順位は落ちる。
後日カメラロールから画像を見かけてまぁ挙げなくてもいいかと思い、
結局はクラウドiCloudの肥やしとなる。

これのリピートである。
しかしてこのリピートにはときたまノイズが挟まる。
1、2か月前だとかの料理画像を挙げてしまうのだ。
無論、これは防犯意識などセキュリティとしてのものではない。
ただ無意識。
挙げなきゃと思いつつ挙げていない現状を打破するオートメーションme。
習慣にしては規則性がない。
一方でスマホをいじる習慣から枝分かれし、
このオートメーションは作動する仕組みであることを、
私は看破したのだ。


自身を看破する特異な経験を味わった私は、
自身がいかにものを考えない、
体感で生きているその場その場ニンゲンだということを
嫌悪し、その対価として幾ばくかの”いいね”を得た。
この”いいね”が私をプラスにするわけではない。
こんなものよりもウロウロしてるときになぜかもらった
いつかの大根やらあったかいコーヒーの方が遥かに喜びなのだ。

いくら映えるものを撮ったとて、そのいいねは数字で測れるもの。
けだし、定量的なものであるがゆえ単純。しかして複雑性皆無。
純化されたものに面白みはない。しかしラクチン。

 

でもまぁ、うれしいね。
なにかしら感情のフックに引っかかったわけだし。
と、いうことでそれを裏切りたく思い、
料理に対して接近して撮ることで、がっかり感を演出している。
その結果、フォロワーの方からいただくいいねの数を半分にすることに成功。
求められていないことをするとしっかりと反映される世の中に、乾杯。