語ラーゼ

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藤子・F・不二雄の発想術 is 表現の妙味

これはいい本だ。katarazeです。

この本を読みました。

藤子・F・不二雄の発想術 (小学館新書)

藤子・F・不二雄の発想術 (小学館新書)

 
 一言でいうのであれば、
『無駄がない発想についてのまとめ本』
もっと言うと
『表現についての大原則であり、簡潔にして、優しさ溢れる本』

 この本はもう、なんというか、
情熱の在り方ってのはゴウゴウと赤い炎を指すだけではないんだな、
静かな青い炎のような情熱だってあるんだと感じた。
炎の温度は赤→黄→青の順で高くなります。
この本は間違いなく青です。

せっかく紹介することだし、
ひとつだけ引用したい!
自らに制約を付けて、これだ!と感じた一節をどうぞ。

 


初めは一応、設定に凝ったわけですよ。どうしようもない平均点以下の子どもがいて、その子孫がそのために非常に迷惑している。先祖をしゃっきりさせなきゃ、子孫の繁栄もない、ということでドラえもんが送り込まれてきた。いろいろ手を加えて、未来と過去の関係で、ということでやろうと思ってんですが、設定がうるさすぎて、足を取られておもしろくならないんです。
 だから割り切っちゃって、二人は本当に仲のいい友だち。ドラえもんはポケットにいろんな能力を持っていて、ピンチになると助けてやる。その小道具も出すたんびにうまくいくんじゃまんがにもなんにもなりませんから、失敗しようのない便利このうえもない小道具を出しながら、二人がかりで、かえってそれに振り回されて失敗するというおかしみがパターンになって、これまで続いているわけです。

               ◆1976年/「てれび くん」11月号/小学館

 この引用の中に表現の妙味があると感じる。
割り切っちゃって、というところに藤子・F・不二雄先生の凄みがある。
設定がうるさすぎて、という表現もGood

もし、ドラえもんが厳密なSF考証だとか未来と過去の二面で書かれていた場合、
当時の子どものみでなく、
現代の子どもでさえがこぞって見る作品たりえなかっただろう。

漫画、映画、ドラマ、小説その他・・・
限られたページや使える時間を使って、物語を書かなければならない場合
において「割り切る」ということは至極重大であり、
ここが上手く表現できない場合、
だらだら世界観の説明が続いたり、ただ冗長な作品ができてしまう。

演劇のシナリオを描いていた大学時代、
僕はこれで失敗していて、せっかく来たお客様が劇中うたたねをしていて
帰りの見送りのときにおもしろかったよと気を遣ってくださった経験がある。

本当におもしろいなら、寝ることなんてありえないはずだ。
寝かせてしまったということは、退屈な部分があったということだ。

ある程度のお客様のもつ文脈を信じて、「割り切り」を入れる部分が
大切であると再確認させてくれた。

一方、俳句の世界ではこの「割り切り」がとても大事で、
例えを自分のしくじり俳句をこの観点で見てみよう。

短日に煮立つ鍋あり足を掻く 

 ここで、煮立つ鍋あり、とある。
俳句は主観で見たものからフォーカスして描写しているため、
あり、という風に書く意味がない。
鍋と書いている時点で”存在”は確定しているため、
いちいち”あり”と書く必要がない。
このせいで2文字分の要素を削っているため、もったいない。

物語を書くのであれば、一文一語にどんな意味が含有しているのか、
を注意しなければ、無駄な言葉が増えてしまい、冗長なモノができてしまう。

大原則であり、忘れがちな部分を、
藤子・F・不二雄先生は教えてくれたように思う。
ココロの1万円振り込んでおきます。
ありがとうございます、大先生。
はいおわり