カタラーゼ

愛知の20代男がなんか語っとる・・・

これは俳句のスイコウなのかしら

や、かたらぜ。(です)

ちょこっとツイッタにて俳句を作って垂れ流しているので、
ネタとして推敲していく次第。

推敲といっても、改良and改悪が3:7くらいになるやもしれん。
ただそのときと今の感じを鑑みて、フィーリングにしていく。スイコーを。




足を掻く、みたいなワードあると風流感ありません?あるよね
羅生門だって下人があごのあたり掻いてるし。
短日は、日照時間の短い冬の日を指す季語。
家で誰かが鍋で何かしら茹でているときに作った句。
鍋が煮立つところが冬のイメージが強いために、その引力が
僕に短日を選ばせた。
しかし、陳腐な感じが否めない。冬の日に煮立つ鍋・・・
しかも!これあとで気づいたが、「季重なり」や・・・
季重なりとは、句の中に季語が二つ以上存在すること。
今回の場合、短日と鍋。冬の季語2つある。
あまりにも反射的に作りすぎた。季重なりは句の主題がぶれてしまい、
結局、これは何なの?(何の句なの?)という風になってしまう。

ただ季重なりは決してタブーではない。
おおらかな人もいれば、許さんという人もいる。
実際に、偉人の句でも季重なりの句は多くある。
一例として、松尾芭蕉の句では

しばらくや 滝に籠るや 夏の初め
(滝と夏の初めの2つ)

もう一例、江戸中期の俳人、山口素堂の句

目には青葉 山ほととぎす 初鰹
(青葉とほととぎすと初鰹の3つ)

この山口素堂の句が最も、季重なりしたほうがいいね、という感想を持てる。
視覚・聴覚・味覚でメインが変わる。
視覚によれば、青葉がキレイ。
聴覚によれば、ほととぎすのさえずりが心地よい。
味覚によれば、初鰹が旬でうまいこと。
それらひっくるめて、一句に入っている。
まさにお得三点セット。
野球でタイプの違う打者三人がクリンナップ張ってる感じ。
当時の江戸でも大流行したそうな。

この句を指して、これは何なの?といえる人はなかなかいないのではないか。
この句の主題は、
おそらく「これ全部あなたたち好きでしょ最高でしょ」だろう。
なにを見せたいのと言われれば、あなたの大好きなものですよと。
確実に
全部見せたろうという心意気が乗っているからこそ、
季語3つの重量に負けない一句ができている。

この主題が欠けていると、
さっきの僕の句になってしまう。
ただの句の形に添った散文だ。素堂のようなリズムがない。
”なんか”冬の日に、”なんか”鍋が煮立ってて、”なんか”足を掻きました。おわり。
驚くほどつまらん。日常が過ぎるというか・・・
サザエさんでさえ日常の中に、ちょっとしたトラブルがあって、非日常が少し顔を出しているのに・・・・それでおもしろい。

季重なりはできるだけ避けたい。
まずは1語でバシッと主題を作ることを重点に置いているからだ。
人生経験として実力伸ばさず。テクニックに走ってしまう悪癖がありますからね!

と、いうことでいじょうを踏まえて推敲らしきことをする。
ここからは、妄想想像イマジネーションの思考ダダ洩れぶんになります。

短日を生かせるような・・・句がいい

素の形は短日に煮立つ鍋あり足を掻く

まずテキトーすぎる鍋を消そう
煮立つ鍋ありって既に煮立つ鍋で存在してるやん
おそらく文字に困って入れたな。鍋とろう

するとこうなる、短日に足を掻く

基本に忠実にしよう。切れを意識。
この場合は短日やで切ろう
短日やにして、背景にしてみよう

短日や 足を掻く

なんとなく収まりがいい感じになりそう
冬の日の生活感だしたいよなー
鍋をいれてたんだもんなー
そういや我が愛犬が近くで寝てたな
登場させてみよう

短日や 犬 足を掻く

なんというか、”っぽくなってる気がする”
せっかくだし犬触るか

短日や 犬触る 足を掻く

こうなると足の下5が邪魔だ

短日や 犬触る

犬触るで止めるの気持ちがいい。
助詞抜いて二文字名詞と三文字動詞は鉄板だな
寝ている犬に使う言葉・・・睡眠
眠り、眠たげ、うつらうつら、寝ている、寝たい、睡眠不足、仮寝、船こぐ・・・
横にべたっと寝てる

短日や べったり犬の 眠りをり

試しにやったら、なんか変な気がする
べったりいぬに目が行ってしまう。

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いったん、終了。
堂々巡りしてきた感があるので、一度離れて
酒でも飲みに行こうと思います。

うーむ、短日はむずかしい・・・・
またできたら追記しよ・・・
はいおわり

 

元禄名家句集略注 山口素堂篇

元禄名家句集略注 山口素堂篇

 

 

【読書法】なぜか新しい読書の仕方を発見した、だけの前編

だぅーも、かたらぜ。です。
今回の記事テーマは、こんな読み方もありやな?だす。

日ごろ、成毛眞さんのこの読み方を実践している。

 といいつつも私は3~5冊並列読書です。緩和させて取り込んでおります。
一冊をずーっと読んでるとなぜか飽きてしまうので、
もともとは10冊から始め、だんだん数を調整した結果平均4冊平並列読書となった。

そんな並列読書中に、あるシナジーめいたものが起きた。
たまたま読んでいる本のテーマ(が正しいのか?)が対になっていたのだ。
基本的にランダム気味で読みたい本をうろつきながら探すため、
おそらくあまりこういうことが起こらなかった。

その中でシナジーが起きたのはこの2冊。

 武者小路実篤さんの「友情」

友情 (岩波文庫)

友情 (岩波文庫)

 


藤沢和希さんの「ぼくは愛を証明しようと思う。」

ぼくは愛を証明しようと思う。 (幻冬舎文庫)

ぼくは愛を証明しようと思う。 (幻冬舎文庫)

 

 
勘の良い方ならお気づきでしょう。

これらはジャンルは恋愛ですが、
主人公が非モテとモテで対立した関係にある。
と個人的な意見ながら思ったわけです。

ただまだ
「発見したぁ!」と息巻いている段階なので、
今記事では、可能性だけ示しておいて、また読み返して
精査というには、精査という言葉には失礼があるほどの、
まま粗が見えてしまうけど、そこまで乱雑ではない、
精査・・・粗精査をしてまた記事を挙げようという次第。

予防線の言葉遊びがすごい。
はいおわり

 

俳句におけるナンカイイを求める思考迷路

アイニョビ、かたらぜです。
見て聞いてなんかいい感じがする、のを大事にしたいこの頃。
ただ今頭の中がラビリンスしているので、読みにくいやもしれない。

今記事で言いたいことは、
"ナンカイイを起こすには、隙を見せること"です
プレバトなどを見てから俳句を作ると、隙を見せない俳句になって
共感は得られるが、テクニックめいたクサさを匂わせてしまう気がしたので。
※個人の感想です

では本編

ある俳句に興味アリな女性と話していたとき、
元営業マンのヒアリング能力を駆使してその人の好きそうな句を
2,3紹介しました。
その中で一番気に入っていただけたのが、この句。

"右ブーツ左ブーツにもたれをり"
*1

微苦笑俳句コレクションに収録された、辻桃子先生の句。
ナンカイイ感じしませんかこれ。
とても簡単に俳句の形ができている。
季語がブーツで冬の季語ということを知らなくても、
こういうのもアリなんだと思える逸品。

あえてこの句の解釈は述べない。検索すれば通意が出てくるので。
今回のテーマはナンカイイなので。
一つ述べるとするならば、素直さ。
在るものをそのまま受け止める素直さ。

なにも考えず、無私の状態で見つめることで
風景はじわじわと変わる。
よく見て、もっと見て、感じるナニカ。
そのナニカに"イイ感じ"を覚えたとき、ナンカイイが出るのかもしれない。

その発露が俳句になったときに、隙がチラリと見えて
共感とか理解が生まれるのかもしれない。

例えるなら、いつもしっかりしている印象のある異性が、
たまたま見せちゃったうっかりな行動、
ポカしちゃった的な行動に胸キュン(死語)してしまうような感じ。

句だけを見ればただブーツが片方に倒れ掛かっているだけ。
なんだけれども、想像の余地が多分に残されていて、様々な解釈が許されている。
「このナンカイイ感じなんだろう」「もたれてるところかな」「ブーツかな」
というように。

話は切り替わって
ナンカイイというキーワードがとても重要だなと近頃思う。
自分で気づかなかった良さに誰かが気が付いてくれるイイ言葉だ。
この人ナンカイイな→話しやすい
この人ナンカイイな→手先が器用だ
というように、誰かに気づいて興味を持てる橋渡しとなる言葉。

支離滅裂になってきた。
素直に吐き出しちゃってるからしかたあるめぇ・・・

はいおわり

そして
辻桃子先生のナンカイイ本。肩の力が抜けます。

俳句って、たのしい (朝日文庫)

俳句って、たのしい (朝日文庫)

 

 




*1:微苦笑俳句コレクション:江国 滋:1994/8/1実業之日本社より出版

思うままに四行詩4

 

 

人をすりおろして 金を求むる世の悪鬼

大義名分ひっさげて 人を誘う悪鬼

どちらも悪鬼の所業なれど 人の営み

まだ善き人の営みに ならないものか

 

ブッダ全12巻漫画文庫 (潮ビジュアル文庫)

ブッダ全12巻漫画文庫 (潮ビジュアル文庫)

 

 




『俳句開眼100の名言』俳句における5W1Hをピャッと見られる良本

はい、かたらぜです。
今記事で言いたいのは、
あると嬉しい技法の書
です。

俳句について良い本を見つけたのでご紹介。

ひらのこぼさんの
俳句開眼100の名言

俳句開眼100の名言

俳句開眼100の名言

 

 
ジャンルとしては俳句入門書ではありますが、
テクニックにとどまらない、作句の考え方についても書かれているので
万人が手を取っても間違いはない逸品。

数ある名言の中でも、
読んでいくと腑に落ちるページ、思わず手が止まるページがでてくる。
「これはどうなんだろうか」「これは自分に近いな」
というふうに対話を楽しみながら、
一方で、ふと出来た俳句を推敲するときに手に取れる場所にあると嬉しい本でもある。
歳時記の近くにもう一冊「俳句開眼100の名言」。

ものづくりのキツイ点として
自分で自分を迷宮に陥れてしまうことがある。
これが、突破できる場合はだいたいが経験による裏打ちがほとんどだと思っている。
出来ない場合、経験が足りないことが多いのでちょっとだけ
ベテランの手を借りて、必要以上に傷つかないで完成させたらいい。
そのための本として持っておこう。

長い間、お世話になりそうだなこれ・・・・
はいおわり

 

今はじめる人のための俳句歳時記 新版 (角川ソフィア文庫)

今はじめる人のための俳句歳時記 新版 (角川ソフィア文庫)

 

 

【俳句】のどが渇けば、水を飲んでおいし・・・・ってだけ、本能

アジサイが見ごろだね、かたらぜです。
以下の記事から俳句をやる最初の一歩を考えてみる。

98歳“俳句レジェンド”金子兜太が語る「俳句にはアウトサイダーが必要だよ」 | 俳句、よんでる? #俳句 http://bunshun.jp/articles/-/5386

プレバトなどを通じて、俳句面白いなと感じている方が多くとてもうれしい。
高校時代と比べて、「俳句やってます」と言うとリアクションがしっかり
返ってくるのでもうそれだけでうれしい。

そして、よく聞くのがなんか難しそうとか色々勉強しなくちゃできないかも・・・
という言葉をよく周りで聞く。

「とてももったいない!」
と言わせていただきたい。

例えば初めて、サッカーしたいな、と思ってルールブックを読み始める人はいるだろうか!いや、いない!いたら・・・ごめん!
とにかく!サッカーしたくなったらボールを買って蹴り始める!
そんな感じで
とりあえず言葉を五七五にしてみる。

けだし申したいのは
俳句っぽいものを書く
のが最初の一歩だと思っている。

どんなプロであろうと
一番最初は、サッカーっぽい、野球っぽいものから始まっている。

技術作法はそこに次ぐものであって、
やってみるのが一番。
そこにおいて俳句はカンタン。
17文字でできるからだ。小説、絵画じゃこうはいかない。

金子兜太先生の記事内では、「荒凡夫」という言葉が掲げられている。
本能なまま「生き物感覚」で生きること
ここに今回のブログ内容は集束させたい。

自身の発露そのものを17音(字余りでもいい)に収めてしまえば
それでもう作品だと。
ただ、俳句という名を冠するにはなぁ・・・
だからこその、
俳句っぽいもの書く
を僕は最初に推していきたい。

そこから他人の句を詠んだりして
語彙、技法、語順を学んでいくんだと。
サッカー慣れてきたらバイシクルに挑戦しはじめるようなもの。
ぜひとも、俳句っぽいものを書いて頂きたい。

なので今日散歩しながら俳句っぽいものを作ったので載せます。
春の句です。

長閑さや 河川敷の 草が萌ゆ
春の犬 ほっぺたの ぐにっと曲がる 

なんにも工夫がない一物仕立ての句。
ただ本能のままに作ったので、のちのち改良予定。
作ってからもっと良くできるか悩むのも一興の価値あり。

なにかと本能から逆らいがちな世の中、
たまには本能を解放する機会があってもいいんじゃないか?
そんなことを考えていた一日でございました。
俳句を楽しんでくれる方が増えたら、幸い。
はいおわり

金子兜太先生なら僕はこの本をお勧めしますよ

 

金子兜太のことば

金子兜太のことば

 
悩むことはない

悩むことはない

 

 

ポテチを箸で食べルーティーン

どうもかたらぜです。

とりあえず言いたい

ポテチは、箸で食べるとすごくいい!
手で食べるのが今までのスタイルだったでしょう?
しかぁし!今なら間違いなく箸!

と思ったのは
iPadをGETしたときでした。
ウキウキと帰路につき、その日の風呂上がりに
ゴロゴロしながら、iPadで動画を見ながらポテチをあけたら

「・・・?脱法じゃないか・・・?」

そう、なんとなく脱法だと感じたのだ。
汚れる、油がつく、指紋べたりじゃん、とかでなく脱法だと。
もちろんそんな法律があるわけがない。おやつ食った指でタブレット触ったら罰金なんてあるはずがない。そもそもスマホのみ所持のときは手でバリバリ食っていたじゃないか。なぜタブレットの場合軽犯罪に触れる感じがしたのだろう...

これはまちがいなく、規模の問題だ。
画面が大きい分、黒画面のときに指紋とボディの汚れが気になるのだ。
これではいけない。でも、ポテチ食って動画見たい。
じゃあどうするか。箸しかないね。
専用のマジックハンドなんかも売っているらしい。

 

ポテチの手 しおタイプ

ポテチの手 しおタイプ

 

 なんか卑猥だしいいやこれは。

箸で食べることで、問題は解決したものの。
箸を洗う必要が出てくるのは、盲点であった。

そして箸で食べることの副産物を発見。
ポテチを一口あたりの消費が少ないことだ。
手だと2,3枚ほど取ってしまうが、箸ではこうはいかない。
一枚ずつ食うことになる。
必然、ポテチ一袋を長い間持たせることができる。
ポテチのもたらす効用を長時間享受できるのだ。
これはうれしい。マル得。🉐

これからもポテチと箸をセットで楽しむ人生にしたいと思う。
はいおわり